2024年5月9日
特定非営利活動法人 気候ネットワーク
代表 浅岡 美恵

2024年3月20日 大法廷で判決を言い渡すSiofra O’Leary裁判長(欧州人権裁判所ホームページから)

【解説】スイス女性たちの温暖化を止める長い挑戦
危険な気候変動の影響は人権侵害とし、国に被害拡大防止の責任があることを認めた欧州人権裁判所の判決をよみとく

スイス女性たちの長い闘いのその先

 「気候保護のためのシニア女性の会(KlimaSeniorinnen Schweiz)」に集まった2000人以上の女性たちの平均年齢は73歳。強い熱波に曝されていた彼女たちは、2016年以来、スイス国の気候変動対策は不十分であると訴え続けてきました。2015年にオランダのハーグ地方裁判所がオランダ国の削減目標引き上げを命じた判決 1に出会い、パリ協定の採択にも後押しされ、グリーンピースなど多くのNGOにも支援されてきました。とはいえ、長い闘いでした。
 スイス議会や行政への請願だけでなく、行政裁判所、さらに最高裁でも、気候変動の悪影響に対して個々人が訴える権利や被害者性は認められませんでした。それでも挫けず、彼女たちは2020年にスイス国を相手として欧州人権裁判所に訴えたのでした。粘り強く活動を続けてきた強い意思は、孫たちへの思いによるものだといいます。
 2024年4月9日、欧州人権裁判所は、スイス国は気候変動に対する積極的義務を果たしてこなかったと断じました。気候変動の悪影響は個人の健康や幸福、生活の質をへの脅威となっており、人権を侵害するものとし、KlimaSeniorinnenが国に人権を保護する義務を果たすよう求める地位があることを認めました。そのうえで、気候変動対策として国のとるべき措置を具体的に示し、スイス国の取り組みを検証したうえで、その対応が不十分であるとしたものです。そして、スイス政府に訴訟費用として8万ユーロをKlimaSeniorinnenに支払うよう命じました。
 17人の裁判官からなる大法廷で審理され、16対1での結論でした。日本でも大きく報道されましたので、目に留まった方も少なくないことでしょう。
 他方で、4人の女性たちの個人としての訴えと、フランス北部の海岸沿いの街グラン・シンセの元市長ダミアンマ・カメレ氏の訴え、ポルトガルの12歳から24歳までの若者たちによるポルトガルを含む32ケ国に対する訴えは却下されました。その理由と課題は後で紹介します。

2023年4月、ストラスブールに集まった

 気候訴訟に関わる世界の弁護士や法律家たちの間では、1年以上も前から訴訟の行方に注目していました。2023年4月29日、フランスのストラスブールにあるユニークな外観(上の法廷の背景にも描かれています)の欧州人権裁判所大法廷で、スイス女性たちの事件の公開弁論が開かれることになったからです。その様子は世界中にネット配信され、日本からも、固唾をのんで弁論を見守る彼女たちの姿を見ることができました。人権弁護士として知られるJessica Simor弁護士の口頭弁論や裁判官からの質問への応答は力強いものでしたが、日本の気候訴訟での原告たちの主張とほぼ同じです。これこそ、科学と国際合意を基礎とする気候変動との闘いの特質といえます。上記ポルトガルのケースは9月に弁論が開かれました。
 パリ協定の目的の実現は、各国の責任ある排出削減の実施にかかっています。そのためには排出削減を法的義務へと高める必要があります。気候訴訟はそのための闘いです。欧州人権条約2条(生命、健康に関する権利)及び8条(個人の生活及び家庭生活の尊重)の規定は、オランダの最高裁判決(2019年)やフランスの行政裁判所決定(2021年)などの後押しとなってきました。その後も科学は進展し、今回の訴訟の焦点は、1.5℃目標が世界共通の目標となり、その実現のための国ごとの残余カーボンバジェットの位置づけに移っています。欧州人権裁判所が強制力をもって気候変動について正面から判断する今回の決定は、パリ協定以来の気候変動に関する法的進展をもたらす機会となるだろうという期待が広がりました。

気候変動による深刻な悪影響は人権侵害

 そうして迎えた4月9日の判決では、スイスの気候変動対策を詳細に検討したうえで、欧州人権条約に違反しているとしたものの、スイスの4人の女性の訴えとフランスのカメレ氏の訴えは認められませんでした。欧州人権条34条の申立人の資格を厳しくとらえたためです。それでも彼女たちは、2016年にスイスのDEREC(エネルギー・通信省)などに請願を重ねて以来の長い歳月を振り返り、KlimaSeniorinnenの訴訟適格が認められ、多くの人々のための判決を得ることができたことに、「We won!」(私たちは勝利した)と宣言しました。ポルトガルの若者たちも国内裁判の手続きが尽くされていないとして実体的な判断はなされませんでしたが、「この判決はわたしたちみんなのもの」と歓迎しました。判決から1ケ月経過した今も、欧州人権裁判所ホームページのトップニュースを飾っています。
 この判決が高く評価されているのは、気候変動による影響を欧州人権条約8条(個人生活及び家庭生活の尊重)で保護される健康、幸福感、生活の質への侵害としたことにあります。さらに、このことから、「気候変動による深刻な悪影響から効果的に保護される権利」が個人の権利として認められたことです。
 欧州は世界でも最も早く温暖化が進んでいるといわれています。高緯度地域に位置しながらも、メキシコ湾流のお陰もあって世界に先駆けて高度な文化文明を生み出し、産業革命も英国から始まりました。しかし、近年、ロンドン近郊でも夏の気温が42℃にも及び、欧州各地で熱波や山火事が広がり、北部では洪水、南部では干ばつ被害が多発し、農業にも影響が出ています。氷河の後退も深刻です。欧州環境庁は、欧州では世界の2倍の速さで温暖化が進んでおり、健康や農作物生産、インフラへのリスクなど経済と社会のあらゆる場面で、危機的又は壊滅的リスクに備える必要があるとも警告しています。
 欧州人権裁判所の判決によれば、スイスの最も暑い年は2003年(欧州全体で熱波に襲われた年)と2022年です。2003年の熱波による早期死亡は1000人、2022年は1700人に及んだとあります。最高気温を記録した2023年にはさらに多くの死者が数えられたことでしょう。また、熱中症による死者の90%以上が高齢女性であったとあります。日本でも他人事ではありません。
 唯一人、評決で反対した裁判官も、気候変動の危機への認識は多数意見と共有していると述べています。今回の焦点は、こうした気候変動による健康、幸福感、生活の質に対する深刻な脅威は欧州人権条8条による個人生活及び家庭生活への脅威であり、人々にその侵害から保護される権利があるかどうかにありました。裏を返せば、国に気候変動による脅威から市民を保護する義務があるのかが問われていたのです。
 欧州人権裁判所は、気候変動枠組み条約採択以来の科学の進展と気候変動の影響を踏まえて、パリ協定の前文で「気候変動は人類共通の懸念事項であり、締約国は気候変動に対処するために行動を起こす際、人権に関するそれぞれの義務を尊重し、促進し、考慮すべきである」とされたこと、パリ協定では気温上昇を2℃より十分下回り、1.5℃への努力を追求することが盛り込まれたこと、その後のIPCC1.5℃特別報告書(2018年)で1.5℃と2℃との0.5℃の影響の差は大きいと報告されたことなどを確認していき、今回の結論を導きました。
 日本ではどうでしょうか。大阪高裁は2022年4月26日、神戸製鋼の環境アセスメントに関する行政訴訟の控訴審判決で、「CO2排出による被害を受けない利益を法的保護に値する個人の利益と解すべき社会基盤が確立しているとまではいい難い」として、個人の権利を認めませんでしたが、同時に、「この判断は、現時点の社会情勢を前提としたものであって、今後の内外の社会情勢の変化によって、CO2排出に係る被害を受けない利益の内実が定まってゆき、個人的利益として承認される可能性を否定するものではない」とも述べました。気候変動の影響は世界のどこでも同じように現れるものではありませんが、その原因は地球規模のCO2など温室効果ガスの累積的排出量によるもので、日本だけが被害を免れうるということはありません。個人の権利として承認される時代が訪れたといえるでしょう。

KlimaSeniorinnen Schweizのホームページから

気候変動の影響と因果関係

 危険な気候変動をもたらす多くの排出源からの排出行為と被害者の被害との因果関係をどうみるかは、どの国でも論点の一つとなっています。今回の欧州人権裁判所の判決でも、裁判所の逡巡がみてとれます。
 判決では、まず、多くの温室効果ガスの排出源からの排出と気候変動の影響との関係は、IPCCなど科学の評価によるべきものとし、危険な気候変動の影響と現在及び将来の人権の享受との関係についても、法的評価の問題ではなく事実認定の問題ととらえました。IPCCの報告書などをもとに、気候変動は人為的要因によるものであり、現在及び将来の人権を脅かすもので、各国は1.5℃の気温上昇を超えないようにすることで、人権への侵害を軽減できると認識していることも認定しました。
 気候変動の文脈では、国家の行為や不作為と個人が受ける気候変動の被害との関係は、他の環境被害や人権のケースよりも「より希薄で間接的」であることはそのとおりです。今回の判決では、国家の義務の存否についての指標として、リスクを排除することではなく、軽減することとし、気候変動訴訟における相当因果関係は、その「特別な特徴」を考慮し、「人間の生命、健康、幸福や生活の質に悪影響を及ぼすリスクの重大性の程度の問題」としました。
 IPCC第5次評価報告書で、歴史的累積排出量と世界の平均気温の上昇がほぼ比例していること、第6次評価報告では、66%の確率で1.5℃の上昇に抑えるための残余の炭素予算(カーボンバジェット)は4000億トンに過ぎず、限定的なオーバーシュートの場合でも、1.5℃の上昇に止める道は急速に閉ざされつつあることなどを挙げて、パリ協定後のグラスゴー気候合意(2021年)、COP27(2022年)及びCOP28(2023年)での合意などをつぶさに検討して、この結論を導きました。オランダ最高裁判決やドイツの憲法裁判所の決定でも残余のカーボンバジェットに言及されていますが、今回は国の義務の内容を規定する文脈で、より具体的に語られています。

国家の気候変動の悪影響を軽減する義務

 また、気候変動枠組み条約とパリ協定に照らして、各国は気候変動に対処するための措置を講じる責任を負っており、ある国が他の国の責任を指摘することによって自らの責任を回避することはできないと述べています。これは、ドイツの憲法裁判所の決定などでも指摘されてきたものです。
 そして、裁判所は、国の義務とは、個人が気候変動によって引き起こされる悪影響とそのリスクから生じる生命、健康、幸福及び生活の質に対する重大な悪影響から効果的に保護するための自らの役割を果たすことであると宣言しました。具体的には、気候変動を緩和できる規制や措置を採用し、効果的に適用すること、そしてそれは、実際的かつ有効に権利を保証するものでなければならず、そのために、カーボンニュートラルの実現だけでなく、そこに至るまでの期間に適切な中間削減目標を設定し、実現に向けて適切な対策を実施する必要があると述べています。目下の焦点である2030年の排出削減目標引き上げを促すものとなるでしょう。
 ところで、スイスの2020年排出削減目標は、2011年のCO2法によると、1990年比20%削減、2024年まで年1.5%の削減、うち75%は国内対策で実現(25%は海外クレジット)とするものでした。その目標も達成されませんでした。2030年までに50%減目標を掲げたCO2法改定が2021年の国民投票で否決され、2011年のCO2法改正案で2021年から2024年までの削減目標を1990年比で年率1.5%とするとされました。2022年に制定された気候保護法は、2031年から2040年までの平均で少なくとも64%、2040年までに少なくとも75%、2041年から2050年までの平均で少なくとも89%、そして2050年にネットゼロとする目標を掲げています。しかし、その実現のための具体的措置はそこに定められておらず、2025年から2030年の目標がない状態とも指摘されています。
 スイス政府は、1.5℃に抑えるための科学の推奨に従うと約束するものの、自国のカーボンバジェットを定めておらず、確立された決定方法論は存在しないと述べていましたが、裁判所は、気候変動に関する効果的な規制の枠組みには、残余のカーボンバジェットその他を通じて国の排出許容量を定量化することが必要とし、KlimaSeniorinnenが提示したように、67%の確率で1.5℃目標を実現するためのスイスの残余のカーボンバジェットは4億4000万トン2 で、2021年から2030年までに34%削減する現状のシナリオでは、2034年頃までに残りのバジェットを使い切ることになると指摘しています。
 なお、スイス政府の気候変動緩和策はDAC(直接空気回収技術)など炭素除去技術とCCS(炭素回収貯留)に頼るものです。火力発電での水素・アンモニア混焼はさすがに挙げられていませんが、海外からのカーボンクレジットに依存し、CCSや炭素除去の新技術頼みであることは、日本と共通といえます。

スイスの2020年のGHG排出量

GHG排出量:4340万t-CO2 世界の0.18%(航空機燃料によるもの、輸入に係るものを含まず)
一人当たり排出量:5.04t-CO2
消費ベースのGHG排出量:13 t-CO2

 こうして、欧州人権裁判所はスイス政府の規制の枠組みにおける「重大な欠落」、例えば、2025年から2030年までの規制が未整備であること、新たな法律が制定されるのを待っていること、カーボンバジェットを定量化して削減目標の設定が行われていないこと、スイスが目標を達成するための具体的な措置を示していないこと、過去の温室効果ガス排出削減目標を達成していないことを挙げて、スイスの取り組みは不十分としたものです。

女性団体の原告適格を認める

 欧州人権裁判所は、気候変動と闘うためのスイスのこれまでの行動が不適切であり、危険な気候変動の回避には立法、行政など多くの要素が必要であることなどを縷々述べ、その悪影響のリスクの悪化と、そこから生じる脅威はすでに世界中で認識されていること、裁判所は人権の執行を使命とする司法機関としての役割を無視することはできないこと、既存の環境法の適用事例は気候変動の文脈では適切でないことに触れつつも、気候変動がある意味では広範な人々に係る問題であることにも触れて、欧州人権条約34条の適用において、個人については、(a)気候変動の悪影響に強く暴露していること、(b)被害を軽減するための合理的措置が存在しないか不十分であるため、個人の保護を確保する緊急の必要性が必要としました。具体的には、申立の趣旨と範囲、気候変動による悪影響の時間の経過による現実性、可能性、申立人の健康、幸福や有害な影響の規模と期間、リスクの範囲、脆弱性の性質などが考慮されるとしています。
 また、気候変動のような問題では環境団体の重要性を強調し、KlimaSeniorinnenに原告適格を認めました。気候変動が人類共通の関心事であり、若者世代が深刻な影響を受け、世代間の負担の分担が特に重要視されているこの文脈においては、団体が気候変動の影響を受ける個人を代表して行動する役割を認められるとしました。しかし、個人の申立人(4人の女性)については、彼女たちが気候変動の影響を特に受けやすいグループに属していることを認めたものの、なお欧州人権条約34条の要件には十分ではないとして、今回の事案では該当しないとされました。個人にいささか厳しい評価がなされた背景には、欧州人権裁判所の長い歴史のなかでの多くの判例があることと、KlimaSeniorinnenに申立権を認めたこともあるようです。
 もともと、欧州人権条約では個人の申立が想定されており、団体の申立権はアイルランド最高裁判決でも否定されていました。しかし、オーフス条約のもとで欧州でも団体の申立権を認める国が拡大しており、今回は、気候変動という問題の特殊性から、被害が多くの人に及ぶ性質があること、若者世代であっても切迫性に幅があることなどから、気候保護活動を目的とする団体の代表性を認めることで、個人の原告を制限しても、必要な救済を実現できると判断したのではないかと思われます。
 日本では、NGOの原告適格を認める法律も判例もないことを踏まえれば、若者などの訴えには今回のKlimaSeniorinnenと同じ位置付けがあるとみなして、真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。気候ネットワークのような団体に原告適格が認められていくことも必要になっているといえます。

事業者に対する影響を予測

 今回の判決は条約加盟国が対象ですが、国民の効果的な保護を受ける権利を国家が保証するためには、国内排出量取引の排出枠の設定や炭素税の強化など、企業の気候変動にかかる規制と執行の強化が求められてくる可能性があります。企業も人権の遵守が義務とされてきています。例えばスイスの排出量は世界64位で、その割合は0.1%です。一国の排出量を超えるような排出企業には、直接的にも、気候変動による悪影響の拡大を抑制することが求められることになると予想されます。今回の判決を経て、気候変動の被害を最小化しようとする司法における挑戦は、世界各地で新たなステージを迎えることでしょう。

脚注

  1. この判決は2019年のオランダ最高裁でも認められた ↩︎
  2. 一人当たりの負担を同じとした場合 ↩︎

参考

KlimaSeniorinnen Schweizウェブサイト(英語)

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