2026年1月15日
特定非営利活動法人 気候ネットワーク
代表 浅岡 美恵
1.はじめに
日本版排出量取引制度(GX-ETS)は、2030年に向けた日本の温室効果ガス削減の中核的政策として位置づけられている。しかし、制度設計の議論が進む中で、制度の実効性や透明性に対する懸念が各方面から示されてきた。気候ネットワークは、2025年8月[1]、11月[2]、12月[3]にかけて三度にわたり提言を公表し、キャップの欠如、削減率設定過程の不透明性、石炭火力温存の構造など、制度の根本的な課題を指摘してきた。
これらの提言は、制度の方向性が固まる前段階で、必要な改善点を明確に示すことを目的としていた。しかし、2025年12月19日に公表された小委員会意見および関連資料を精査すると、削減率の設定過程や制度の基本設計において、依然として重大な問題が残されていることが明らかとなった。
排出枠の設定については、「業種別のベンチマークに基づいて割当量を決定することを基本とする」とされ(小委員会意見35頁「GX2040ビジョン①基本的考え方」)、その検討のために小委員会下にベンチマーク検討ワーキンググループが設置された。本来、ベンチマーク方式では、業界ごとの排出原単位を当該年度のベンチマークとして設定し、これに基準活動量を乗じたものが排出枠として割当てられるはずであった。ところが、本小委員会意見では、基準として排出原単位ではなく「削減率(上限8.5%)」が用いられることとなった。この決定プロセスでは必要な根拠情報が十分に示されないまま、基本方針を実質的に形骸化させる結果となっており、その経緯および結論の妥当性について検証が求められる。
そこで、本ペーパーは、これまでの提言で示した問題意識を踏まえつつ、「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」及び総合エネルギー統計の最新データ(2023年度分)を用いて、小委員会が提示した排出枠割当の制度の詳細内容(以下「本制度」という)に基づく2030年度の排出削減量を推計する。また、あわせて本制度が日本のNDC(国が決定する貢献)と整合しているか、さらに1.5℃目標に向けた排出削減の要請に応えうるのかを検証するものである。 以下では、まず、ベンチマーク対象事業者のすべての対象事業者の2030年までの削減率を8.5%以下と定めた過程における問題点を整理し、続いて第6回小委員会で示された業種ごと原単位水準について、累積活動量32.5%水準の排出原単位として示めされた値をもとに、気候ネットワークで各業種の削減率を試算した。その後、ベンチマーク適用対象業種の削減率の上限として一律に8.5%が設定されたため、その上限を適用した場合の削減率を分析した上で、同小委員会意見における削減率に基づき、2030年度の排出量を推計した(表3)。最後に、これらの分析から明らかになった本制度の構造的課題と、今後求められる制度改正の方向性について論じる。
2.本制度の根本的問題
気候ネットワークは、国際的な気候変動対策の柱であるカーボンプライシングの中でも、大規模排出事業者を対象とするGX-ETSの設計が日本の排出削減の行方を左右するとの認識から、その検討過程を注視してきた。2025年12月19日に公表された小委員会意見(「脱炭素成長型投資事業者排出枠の割当ての実施に関する指針に関する意見」および「令和8年度の参考上限取引価格及び調整基準取引価格に関する意見」)に対しても、2025年12月30日に制度の根本的な問題点を指摘してきた。
これらの提言で繰り返し強調してきたのは、本制度は国際的な排出量取引制度の前提である排出総量(キャップ)が設定されていないという、致命的な問題である。キャップが存在しない制度では、排出総量の管理ができず、排出削減の確実性を担保することはできない。この点で、本制度は国際標準のETSとは本質的に異なり、排出削減のための制度としての実効性に大きな限界を抱えている。
さらに問題は、小委員会が示した2026〜2030年度の排出枠の割当において、前記のとおり、制度の実効性を左右するベンチマーク(排出原単位の水準)の議論に代わって、ベンチマーク対象業種およびグランドファザリング対象業種の削減率がいずれも8.5%を上限とするとされたことである。しかし、このように削減率に低い上限を設定した時点、すなわち排出削減幅を小さくする方針が決められた時点では、累積活動量上位32.5%の原単位を用いた場合の業種別削減率や、2030年度の排出量推計は示されていなかった。そのため、この上限設定が本制度においてどのような意味を持つのかについて、十分な評価や判断を経て決定されたものとはいえない。これは、本制度の正当性を揺るがす重大な問題である。
そこで気候ネットワークは、「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」の最新データである2023年度分を用い、①事業者が公表している休廃止を反映した場合、②2023年の活動量が維持される場合の二つのケースについて、2030年度の業種別および全体の排出量を推計した。その結果、ベンチマーク対象業種である製造業の中でも排出量の大きい素材産業(鉄鋼、窯業土石、化学、製紙)、石油精製及び発電といった主要部門(2023年度の日本全体の約60%。ちなみに本制度の日本全体の排出量のカバー率も約60%といわれている。)では、2030年度の排出量がほとんど削減されないことが明らかとなった。
この結果は、排出量割当の方法についての審議過程において検討に必要な情報が示されないまま、まずグランドファザリング方式について緩やかな削減率「8.5%」を設定し、実質的検討がなされないまま、これをベンチマーク対象業種の上限値としても導入したという非常に不透明で非合理的なプロセスに起因するものである。
以上のように、本制度は、そもそもキャップを欠いたもとでの削減率の過小設定という制度設計上の根本的な問題を抱えており、主要排出部門の削減を促す仕組みとは到底言えない。
3.対象事業者の削減率策定過程における問題
上記のとおり、小委員会意見によるベンチマーク及びグランドファザリング対象事業者の削減率策定の過程は不透明で不明確な点が多く、業種別の削減率は具体的に示されていないことは問題である。ここでは、作成過程においてどのようにベンチマーク削減率の上限が8.5%とされたのかを検証する。
(1)削減率8.5%の設定過程の検証
本制度の実効性を左右する最も重要な要素の一つが、ベンチマーク対象業種の各ベンチマークおよびグランドファザリング対象業種に適用される削減率である。
①累積活動量の上限を32.5%に設定(第5回小委員会資料3-28頁)
本来、省エネ法ベンチマーク制度では、累積活動量上位15%の事業者の排出原単位が基準とされる。しかし小委員会は、累積活動量上位50%(平均)との乖離が大きい業種が存在することを理由に2030年までは「累積活動量上位32.5%」という中間値を採用した。その差が最も大きいのは発電であることが6回小委員会で明らかになっている。
この変更により、業種ごとの削減率は累積活動量上位15%の水準の排出原単位よりも大幅に緩和されることとなったが、累積活動量上位32.5%を採用した場合の業種別削減率は、今日に至るまで公表されていない。
②グランドファザリング方式の削減率(年1.7%)が上限値に転用(第4回小委員会資料3-34頁)
さらに問題なのは、ベンチマーク対象業種の削減率が、グランドファザリング方式の削減率(5年間で8.5%)を上限として設定された点である。
事務局は、グランドファザリング対象業種について、石油からガスへの燃料転換に10年を要するという前提を置き、年1.7%、5年間で8.5%[4]という削減率を設定した(中間整理72頁)。この過程の不当性は提言3で指摘したところである。
本来、ベンチマーク方式は業種間の排出原単位の差を踏まえ、より高い削減率を設定する仕組みである。しかし小委員会は、「公平性」を理由に、このグランドファザリングの低い削減率をそのままベンチマーク対象業種にも適用するとした。
その結果、累積活動量上位32.5%の排出原単位を基準とした場合に8.5%を超える削減が必要な業種であっても、削減率は8.5%に減縮された(第6回小委員会資料3-76頁)。
③業種別削減率が示されないまま上限値だけが決定された
削減率の上限が8.5%とされたにもかかわらず、
- どの業種がどの程度の削減率となるのか
- 累積活動量上位32.5%を基準とした場合の削減率がどうなるのか
- その結果、2030年にどの程度の排出削減が見込まれるのか
といった基礎情報は、小委員会の審議過程で一切示されていない。
第6回小委員会資料4では、業種別の排出原単位(累積活動量上位15%、32.5%、50%)は示されたものの、そこから導かれる業種別削減率は提示されていない。制度の根幹をなす削減率が、具体的な根拠や影響分析を欠いたまま決定されたことは重大である。
④結果として、主要排出部門の削減率が著しく低く抑えられた
こうした設定過程の結果、
- 素材産業(鉄鋼・化学・窯業土石・製紙)[5]
- 石油精製
- 発電[6]
といった主要排出部門では、本来必要とされる削減率を大きく下回る水準となった。特に発電では、燃料種別ベンチマークの採用により、石炭火力の削減率が極めて小さく設定され、石炭火力の温存が制度的に可能となる構造が取り入れられた。
(2)気候ネットワークによる業種別削減率の分析とその結果
表1,表2は、小委員会の資料4より抜粋した排出原単位(表では審議会資料に基づき「CO2原単位」としている)をまとめたものである。削減率の上限を8.5%としたことによる結果として、以下の点が明らかになったといえる。
①本来の基準(累積活動量上位15%)と比較した削減率の大幅な後退
表1に示されるように、省エネ法ベンチマーク制度が本来基準とする累積活動量上位15%の水準を達成するためには、多くの業種で20〜50%規模の削減が必要となる。
特に以下の業種では、本来の削減率は極めて高い。
- 紙パルプ(紙):−46.9%
- ソーダ製造:−55.0%
- 貨物自動車運輸:−50.4%
- 石灰製造(エネルギー起源):−45.8%
これらは、国際的なベンチマーク制度が想定する「最も効率的な事業者の水準に近づく」という考え方に沿った削減率である。
しかし、GX-ETSでは累積活動量上位32.5%を基準としたうえで、さらに削減率の上限を8.5%に固定したため、本来必要な削減率は大幅に引き下げられた。
②上限8.5%の適用により、主要排出業種の削減率が極端に低下
削減率の上限が8.5%に設定されたことで、本来は大幅な削減が必要な業種であっても、削減率が一律に抑え込まれている。
例として以下の業種が挙げられる。
- 紙パルプ(紙):本来 −46.9% → GX-ETSでは −8.5%
- ソーダ製造:本来 −55.0% → GX-ETSでは −8.5%
- 石灰製造(エネルギー起源):本来 −45.8% → GX-ETSでは −8.5%
- 高炉製鉄(下工程)[7]:本来 −24.7% → GX-ETSでは −8.5%
特に素材産業(鉄鋼・化学・窯業土石・製紙)は日本の産業部門の排出量の大半を占めており、これらの削減率が大幅に引き下げられたことは、制度全体の削減効果を著しく制限する。
③業種別削減率が示されなかったことの問題
小委員会は、累積活動量上位15%、32.5%、50%の排出原単位は示したものの、
- そこから導かれる業種別削減率
- 削減後の業種別排出量
- 制度全体の削減見込み
といった最も重要な情報は提示しなかった。そのため、制度の実効性を評価するための基礎情報が欠落したまま、削減率の上限値だけが決定されたことになる。
表1及び次に示す表2は提言3に掲載したものだが、ここでは改めて小委員会の第6回資料4に掲載された業種別CO2原単位をもとに気候ネットワークが算出した2030年の原単位目標(活動量あたりの削減率)についての算出方法を記す。
表1 業種別削減率(電力以外、産業部門と運輸部門)ベンチマーク
| 2030年の原単位目標(活動量あたりの削減率) | 業種別CO2原単位(単位明記なし) (注1) | |||||
| 上位15%水準まで達成した時の削減率 | GX推定削減率(32.5%)上限削減率8.5%が適用される場合 | GX推定削減率(32.5%)最大削減率制約なし | 累積上位 15% | 累積上位 32.5% | 累積上位 50% | |
| 紙パルプ製造業、紙 | -46.9% | -8.5% | -43.8% | 0.49 | 0.519 | 0.923 |
| 紙パルプ製造業、板紙 | -30.3% | -3.7% | -3.7% | 0.319 | 0.441 | 0.458 |
| ソーダ製造業 | -55.0% | -8.5% | -50.3% | 0.85 | 0.94 | 1.89 |
| カーボンブラック | -18.0% | -6.2% | -6.2% | 1.46 | 1.67 | 1.78 |
| 石油化学基礎製品製造業 | -14.3% | -6.1% | -6.1% | 0.42 | 0.46 | 0.49 |
| 有機化学工業製品製造業 | -11.9% | -6.4% | -6.4% | 5.4 | 5.74 | 6.13 |
| 石油精製業 | -12.7% | -8.5% | -9.1% | 0.0048 | 0.005 | 0.0055 |
| ゴム製品製造業 | -7.2% | -1.6% | -1.6% | 4.64 | 4.92 | 5 |
| 板ガラス製造業 | -13.2% | -8.5% | -9.9% | 0.5 | 0.519 | 0.576 |
| ガラスびん製造業 | -10.5% | -5.6% | -5.6% | 0.434 | 0.458 | 0.485 |
| セメント製造業 | -2.1% | -1.4% | -1.4% | 0.812 | 0.817 | 0.829 |
| 石灰製造業、エネルギー起源CO2 | -45.8% | -8.5% | -12.0% | 0.122 | 0.198 | 0.225 |
| 石灰製造業、生石灰製造プロセス | -3.2% | -0.8% | -0.8% | 0.718 | 0.736 | 0.742 |
| 石灰製造業、ドロマイト製造プロセス | -7.8% | -2.5% | -2.5% | 0.776 | 0.821 | 0.842 |
| 高炉による製鉄業上工程(注2) | -1.9% | -0.9% | -0.9% | 2.07 | 2.09 | 2.11 |
| 高炉による製鉄業下工程(注2) | -24.7% | -8.5% | -12.3% | 0.055 | 0.064 | 0.073 |
| 電炉による普通鋼上工程(注2) | -24.1% | -4.5% | -4.5% | 0.202 | 0.254 | 0.266 |
| 電炉による普通鋼下工程(注2) | -6.1% | -2.0% | -2.0% | 0.046 | 0.048 | 0.049 |
| 電炉による特殊鋼上工程(注2) | -12.4% | -5.4% | -5.4% | 0.227 | 0.245 | 0.259 |
| 電炉による特殊鋼下工程(注2) | -3.2% | -1.3% | -1.3% | 0.0507 | 0.0517 | 0.0524 |
| アルミニウム製造業上工程 | -15.7% | -8.5% | -8.5% | 0.199 | 0.216 | 0.236 |
| アルミニウム製造業下工程 | -11.6% | -2.4% | -2.4% | 0.22 | 0.243 | 0.249 |
| 自動車製造業 | -7.6% | -6.7% | -6.7% | 0.097 | 0.098 | 0.105 |
| 貨物自動車運輸事業 | -50.4% | -8.5% | -32.3% | 0.666 | 0.908 | 1.342 |
| 内航運送事業 | -4.6% | -2.2% | -2.2% | 26.32 | 26.98 | 27.59 |
| 航空輸送事業 | -4.4% | -1.6% | -1.6% | 1.101 | 1.133 | 1.152 |
注1:排出量取引制度小委員会第6回資料4から転記
注2:鉄鋼業は高炉、電炉とも上工程と下工程に分けているが、上工程の排出量割合が大きい。高炉の場合、上工程9割とした場合、削減率は0.9%×90%+8.5%×10%=1.66%削減にしかならないことになる。 出典)第6回 産業構造審議会 イノベーション・環境分科会 排出量取引制度小委員会 資料4 各業種のベンチマーク指標(案)(事務局参考資料)から算定して作成
【項目の補足説明】
- ①累積活動量上位15%水準まで達成した時の削減率。省エネ法の本来の削減目標の水準(累積活動量で上位15%)を採用した場合の削減
- ②GX推定削減率(32.5%)でかつ上限削減率8.5%が適用された場合の削減率。累積活動量上位15%と50%との中間値、累積活動量上位32.5%の事業所のCO2原単位を達成する削減率と、8.5%削減との小さい方を採用する。グランドファザリング対象業種の削減率を8.5%と低く設定し、それとの公平性を理由にベンチマーク対象業種においてもこれを上限とすると下方修正した本小委員会意見の削減率が適用された場合のベンチマーク対象業種の削減率を示している。
- ③GX推定削減率(32.5%)最大削減率制約なしの場合、つまり累積活動量上位15%と50%との中間値として小委員会が一度は設定したその業種の累積活動量上位32.5%に当たる事業所のCO2原単位を達成した場合の削減率。業種別CO2原単位の項は、各上位基準の事業者のCO2排出原単位として記載されているものである。
④電力部門では石炭火力の削減率が極めて小さく設定される構造に
電力についての削減率の推計計は、①23年度以降の工場休廃止を想定と②工場休廃止、電炉転換が仮にない場合とに分けて推計した。前者は事業者が公表している発電所の休廃止計画を踏まえ、該当施設の排出量をゼロ(または半減)として計算し、後者では、2023年の活動量が2030年まで維持されると仮定して行った。
提言3で指摘したように、発電部門では燃料種別ベンチマークが採用された。これによる石炭火力の削減率は極めて小さい(燃料種別削減率-1%)。LNG火力も燃料種別削減率は−0.3%である。
電力部門では、さらに、2030年の排出枠は「全火力平均」を20%(2029年)、40%(2030年)導入する方式が採用されているが、それでも石炭火力、石油火力、LNG火力の排出係数は第6次エネルギー基本計画の目標値(0.25kg-CO₂/kWh)を大きく上回る。
つまり、燃料種別ベンチマークの採用により、石炭火力の温存が制度的に可能となる構造が生じている[8]。
表2 業種別削減率(電力部門)
| 2030年目標 | 業種別CO2原単位(単位明記なし) | |||||||||
| 上位15%水準まで達成した時の削減率 | GX推定削減率(32.5%)最大削減率8.5% | GX推定削減率(32.5%) 最大削減率制約なし | GX電力燃料別削減率 | 累積上位15% | 累積上位32.5% | 累積上位 50% | 全火力平均 | 発電で全火力を含む2030年加重平均 | 第6次エネルギー基本計画の2030年全電源排出係数目標 | |
| 発電事業 石炭 | -53.7% (-69%) | -11.2% | -11.2% | -1.0% | 0.783 | 0.8032 | 0.8114 | 0.596 | 0.721 | 0.25 |
| 発電事業 LNG | -2.7% (-35%) | +21.7% | +21.7% | -0.3% | 0.3755 | 0.3849 | 0.3859 | 0.596 | 0.470 | |
| 発電事業 石油 | -52.3% (-68%) | -12.9% | -12.9% | -5.3% | 0.5609 | 0.7452 | 0.7871 | 0.596 | 0.686 | |
注:発電事業は、上位15%水準まで達成の場合は、天然ガスの上位15%水準までの削減を掲載した。( )内は、第6次エネルギー基本計画の2030年CO2排出係数を目標とした際の削減率である。
4.2030年度の排出削減量の気候ネットワークによる推計結果
7回にわたった小委員会を経た本制度設計の審議では、2030年度の削減量の見込みが示されなかった。そこで、気候ネットワークは、表2で算出した業種別削減率を基にして、①と②の場合につき削減排出量を試算した。表3はこの結果をまとめたものである。
表3 GX排出量取引制度における2030年のCO2排出削減率
| 2023年度 CO2排出量[Mt-CO2] | 2030年度GX排出量取引制度排出量推計 | ||||||||
| ①23年度以降の工場休廃止を想定 | ②工場休廃止、電炉転換が仮にない場合 | ||||||||
| CO2排出量 [Mt-CO2] | 13年比 | 19年比 | 23年比 | CO2排出量 [Mt-CO2] | 13年比 | 19年比 | 23年比 | ||
| 素材製造業・石油精製 | 264 | 221 | -37% | -36% | -16% | 254 | -28% | -26% | -4% |
| 火力発電所 | 364 | 363 | -25% | -8% | 0% | 363 | -25% | -8% | 0% |
| 素材製造業、石油精製、火力発電所合計 | 629 | 584 | -30% | -21% | -11% | 618 | -26% | -17% | -2% |
| 日本全体のCO2削減目標(温対計画)[9] | 989 | 745 | -43% | -32% | -25% | 745 | -43% | -32% | -25% |
【2030年における排出削減量の推計における前提】
基準年の製造業の対象事業者の排出量:本制度では2023、2024、2025年度の排出量の平均とされているが、排出量算定・報告・公表制度で現在公表されているのは2023年分のみなので、2023年度分データによる直接排出量10万トン以上と見られる事業者のCO2排出量[10]に、GX-ETSの業種別ベンチマーク削減率をかけて求めた。ただし、工場休廃止が公表されている箇所については、これを考慮するために2023年以降休廃止の工場排出量をゼロ(半分止めるとの予定の場合は半分に)として計算した。業種別ベンチマーク以外の配慮事項による排出枠の加算は加えていない。
火力発電所の排出量:活動量は2023年水準で維持されるとして、経済産業省総合エネルギー統計の事業用発電の2023年度排出量に、GX排出量取引制度の燃料別ベンチマークによる削減率をかけて求めた。2029年と2030年度については各20%,40%分と全火力平均分を足して削減率を求めた。
(1)素材産業・石油精製・火力発電の排出量はほとんど減少しない
推計の結果、GX-ETSのベンチマーク(排出原単位)による削減率を適用した場合、2030年度の排出量は、「②工場休廃止、電炉転換が仮にない場合」では、
- 素材産業・石油精製:2013年比 −28%、2019年比 −26%、2023年比 −4%
- 火力発電:2013年比 −25%、2019年比 −8%、2023年比 ±0%
- 合計:2013年比 −26%、2019年比 −17%、2023年比 −2%
となり、また「①23年度以降の工場休廃止を想定」でも
- 素材産業・石油精製:2013年比 −37%、2019年比 −36%、2023年比 −16%
- 火力発電:2013年比 −25%、2019年比 −8%、2023年比 ±0%
- 合計:2013年比 −30%、2019年比 −21%、2023年比 −11%
の削減に留まる。
特に②のケースでは、本制度対象業種全体で、2030年時点で2023年比わずか2%しか削減されないという結果となり、本制度による削減効果は極めて限定的であることが明らかとなった。
(2)国の削減目標(NDC)との乖離は決定的
日本の地球温暖化対策計画では、CO2は、2030年に2013年比43%削減が求められ、これは、2019年比では32%削減、2023年比25%削減となる。
しかし、GX-ETS対象の主要排出部門(素材産業・石油精製・火力発電)は、2013年比26〜30%削減、2019年比で17〜21%削減、2023年比では2〜11%削減にとどまり、国全体の削減目標とは大きく乖離している。GX-ETS対象部門は日本全体の排出量の約6割を占めるため、これらの部門の削減が進まない場合に、NDCの達成は構造的に困難となる。
(3)追加割当(配慮事項)により、実質的に削減ゼロの可能性も
本制度では、生産変動、カーボンリーケージ対策、研究開発などの「配慮事項」による追加割当が予定されている。事務局説明では、カーボンリーケージ対策だけでも「対象事業者排出量の2〜3%」の追加枠を想定している。
表3の②(休廃止なし)では、2030年の削減率は2023年比でわずか「2%」に過ぎず、このような追加割当が行われれば、実質的に排出削減がゼロ、あるいは排出枠が2023年度よりも増加する可能性すらあり、EU-ETSや韓国ETSで経験したような過剰な排出枠の割当となる可能性がある。しかし、バンキング(排出枠の繰越)に制限がないため、余剰は支出枠が大量に市場に滞留し、価格低迷と制度の歪みを招くリスクが高い。
5.結論:制度の抜本的見直しの必要性
本検証で明らかになったのは、GX-ETSが、国のNDCの達成を確実にし、脱炭素経済への移行を推進する経済的仕組みとして求められている本制度の基本的な要件を欠いたまま、小委員会で、各事業者の要請への個別対応に加え、累積活動量上位15%という本来のベンチマークの水準から大きく乖離した累積活動量上位32.5%が採用された上、さらに削減率の上限を8.5%に留めてしまったことの問題の深刻さである。その結果、主要排出部門の削減幅は限定的となり、制度全体としての削減効果は乏しいものとなっただけでなく、石炭火力の温存が容認されることとなっていることは重大である。こうした制度設計のもとでは、日本のNDCが求める2030年の排出削減水準と整合する削減経路を実現することは困難である。GX-ETSが削減対策への投資を誘引して、脱炭素経済の移行を加速させる制度として機能するためには、排出総量(キャップ)の設定、ベンチマークの再設定、追加割当の透明化と抑制、バンキング規制、市場監視機能の強化など、制度の根幹部分を含む抜本的な見直しが不可欠である。
2025年7月23日、国際司法裁判所(ICJ)は、各国のNDCについて、「共通だが差異ある責任及び各国の能力(Common But Differentiated Responsibilities and Respective Capabilities: CBDR-RC)(UNFCCC 第3条 1.参照)」に基づき、1.5℃目標の実現に向けた最大限の野心を反映したものでなければならないと判断した。さらに、目標達成のための措置(民間企業による化石燃料消費の規制を含む)を講じ、その実施と検証を行うことは国家の法的義務であると明確にした。
1.5℃目標の実現に必要な世界全体の削減水準は、IPCC第6次評価報告書統合報告書(IPCC AR6 SYR)で示され、COP26決定でも認識された水準である。政府は2025年、気候変動枠組み条約事務局に提出した2035年および2040年のNDCにおいて、これらの目標が1.5℃目標と整合的であると説明した。しかし、ICJの基準に照らすと、G7の一員である日本のNDCは不十分であり、その達成の中心的措置となるべき本制度も、本来求められる効果を備えておらず不適切である。
また、気候系を保護する国家義務の不履行は国際不法行為を構成し得ることも示されており、他国から国際法違反を指摘される可能性も否定できない。
この観点からも、本制度案は、国際的に通用する排出量取引制度として評価され得る内容となるよう、速やかに見直しを開始する必要がある。そして、その見直しを行うためには、制度評価に必要な情報が迅速に公開されることが不可欠である。
なお、GX推進法の改正法における附帯決議でも、1.5℃目標及びNDCの達成への貢献の検証とその結果の公表、所要の措置を講ずべきことが指摘されている。GX-ETSを日本の脱炭素化の中核となる制度へと発展させるためには、他国の経験を参考に継続的に本制度を見直し、改訂していくことが求められる。本ペーパーで示した検証結果が国の内外でそうした議論が巻き起こるきっかけとなることを期待する。
注
[4] 対象業種の現状の燃料構成(石油系60%、天然ガス・都市ガス40%)を前提に、10年かけて都市ガスへ全面転換し、CO₂排出量を17%削減(年1.7%)できると仮定し、制度初期の5年間(2026〜2030年)では1.7%×5年=8.5%削減と設定したもの。
[5] ただし高炉製鉄業下工程を含み、高炉製鉄上工程、下工程合わせると8.5%未満になる。
[6] 発電業は燃料横断(火力平均)では8.5%を大きく超えるが、燃料別では8.5%未満になる。
[7] 高炉による製鉄業は上工程(高炉部分などCO2排出の多くを占める)、下工程(加工などと自家発など)それぞれベンチマークを設定している。上工程については、累積活動量上位15%達成の削減率(1.9%削減)→累積活動量上位32.5%達成の削減率(0.9%)となっている。
[8] 本制度では資本関係のある「密接関係者」は共同して排出削減できる。これを利用し、例えば石炭火力のみの発電事業者と天然ガス火力を多く持つ発電事業者が共同して削減することとし排出枠を受け取り、石炭火力のみの事業者が本来単独で削減する分を、天然ガス火力を多く持つ事業者の排出枠増加分(表2の発電事業、LNG)で賄い、石炭火力を温存する可能性がある。
[9] 国全体のCO2削減率は地球温暖化対策計画で、エネルギー起源CO2(45%削減)と非エネルギーCO2(15%削減)で43%削減になる。
[10] 直接分を推計。間接排出のエネルギー起源CO2排出量に、総合エネルギー統計の業種別直接比率、つまり直接/(直接+間接)をかけて求めた
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