東京事務所の鈴木です。今回はいろいろありましたが、海の大事件を振り返ってみました。

さまざまな海の環境問題がありますが、7月にインド洋の島国モーリシャス沖での貨物船「わかしお」が座礁した事件(あえて事件と言っておきます)は2020年の衝撃的なニュースのひとつです。大型タンカーの座礁による悲劇は過去にもありましたが、日本の会社が所有する船が、貴重な環境保護海域であり世界でも有数の観光地でもあるモーリシャスで問題を起こしたため、連日、日本のメディアにも取り上げられました。あれから、約5か月。事件を振り返ってみます。

貨物船「わかしお」の座礁事件

現場となったモーリシャスは、インド洋に浮かぶ美しい島国で、GDPの約8%を観光収入が占め、就労者の約1/5は観光関連の業務で生計を立てているという観光立国です。7月25日にモーリシャスの南東部沖で、中国からシンガポール経由でブラジルに向かっていた「わかしお」が座礁、8月10日までに約1000トン以上の重油が流出しました。

8月7日にはモーリシャス政府が非常事態を宣言し、多くの住民やボランティア、フランス政府をはじめとする各国からの救援部隊により重油の回収が行われ、12日までに積載していた重油約4000トンのうち、残りの約3000トンの燃料のほぼ全量を回収しましたが、事故海域のサンゴ礁や島の南東部の海岸への被害は甚大でした。真っ二つに折れた船体の前方部分は沖合に曳航されて海中に沈められましたが、後方部分は座礁したままです。

貨物船「わかしお」を所有していたのは日本の長鋪汽船の子会社である OKIYO MARITIME 社で、OKIYO MARITIME社から傭船(契約を結んで船員ごと船を借用すること)して運航していたのが商船三井と、どちらも日本の会社です。インド国籍の船長とスリランカ国籍の副船長は8月18日、「わかしお」の運航に過失があった疑いで逮捕されています。これが、「事件」と書かせてもらった理由です。

一時期には、Wi-Fi信号を受信できるように陸に近づいたと報道されていましたが、地元警察のその後の調査で電子海図の取り扱いに問題があったと、Wi-Fi説は否定されました。しかし、どのような理由であれ人為的なミスにより、白い砂浜と美しい海、そこに生きる多くの生き物、島の人たちの生活や健康に深刻な影響を及ぼしたことは事実です。

海洋環境への深刻な影響

「わかしお」が座礁したのは、2つの海洋生態系の自然保護区と、国際的に貴重な湿地帯としてラムサール湿地として指定されたサンゴ礁が広がるブルー・ベイ・マリーン・パーク(海洋保護区)付近。国連の生物多様性条約によると、モーリシャスの海は、魚786種、海洋哺乳類17種、カメ2種を含む1700種の生き物のすみかとなっています。海だけではありません。モーリシャスは世界的にも生物学上貴重な地域とされる『生物多様性ホットスポット』のひとつとされています。ボランティアが動物たちを安全な場所に移動させ、重油が野鳥の保護区に影響を及ぼさないように対処しましたが、海上に流出した重油や、入り組んだマングローブ林を含めた広範囲な海岸に漂着した重油の回収は大変な作業でした。

油の生物への影響

油の流出は海洋生物の生息地や食料の供給源を破壊してしまいます。重油は、その物理的性状(物理的な汚染と油による窒息)あるいは化学的組成(有毒性および汚染性)によって生物に多大な影響を及ぼします。

油は水に溶け込むとムース状(油水エマルジョン)の層を形成し、生物を窒息させます。海中に住む魚が「溺死」するのです。当然、海面が油膜に覆われてしまえば、呼吸のために海面に浮上する必要のある海生哺乳類や爬虫類(海ガメなど)も窒息してしまいます。産卵のために上陸する生物は沿岸域の油汚染に影響を受けるでしょう。また、生物が油の有毒物質に低濃度であっても長期的に暴露することによって、生殖、生育、食餌などの機能障害を引き起こすことも考えられます。貝類のように海底に生息し、大量の海水を吸い込む生物の体内には油成分が蓄積する可能性があります。海岸線を生息域とする鳥類も油汚染には脆弱です。鳥類の死因の多くは、油による羽毛の損傷とそれが原因となる体温低下による死亡あるいは溺死、食料である魚類の死滅あるいは不足による餓死などですが、食餌や羽毛から油を飲み込んだことで死んでしまう個体もいます。

重油は海面に浮いているだけではありません。一部は海中を漂い、水面下に層をつくり、海底に残留物を沈殿させます。サンゴ礁に油が堆積すればサンゴは直接的なダメージを被りますが、油から発生する炭化水素の毒性がサンゴ礁を変色させ、ひいてはサンゴの死滅につながることもあります。サンゴ礁およびサンゴ礁をすみかとする動物群への影響は、有毒物質の濃度や暴露期間などによっても異なりますし、難を逃れたサンゴも油で海水が濁ってしまえば光合成に支障をきたします。

モーリシャスの美しいマングローブ林にも被害が広がりました。マングローブ林は、根が複雑に絡んでいることもあり、こびりついている油の除去が大変困難な場所でした。油処理剤を散布して油を分解する化学的回収法もありますが、油を分解する薬剤の使用は生態系を壊す可能性が懸念されます。しかし、油が回収できなければマングローブ呼吸根(呼吸のために空中に伸びている特別な構造の根、気根)がふさがれて、あるいは、生息域のバランスが崩れることでマングローブが枯れてしまうことになります。さらに、マングローブの中に油が入り込むことで木が傷み、増殖力が低下することも考えられるのです。

油回収

流出した油はいくつかの方法によって回収・浄化されています。オイルフェンスで拡散を防いだり、海岸線に到達する前に海面から回収(スキミング)したりしますが、回収した油を燃焼したのでは燃焼によって放出される有毒ガスが環境に悪影響を与える可能性が大きく、かといって油を分散させて拡散・沈殿させるための処理剤を使ったのでは生物への影響が懸念されたり、油がより小さく分解されることによって生物に取り込まれたりする恐れもあるなど、流出油の回収・処理は困難な作業です。事故直後には、フランスや日本が国際緊急援助隊・専門家チームを派遣し、油の回収作業や被害状況の調査にあたりました。8月18日までには海上を浮遊する油はほぼ回収できたと発表されましたが、生物への影響を知るには詳細な観察と評価が不可欠です。

その後-モニタリングの必要性

現地に残された船体後方部分は、撤去作業にむけた準備が進められており、12月下旬から処理作業に取り掛かり、来春の撤去が予定されています。沿岸約30キロに漂着した油の除去作業は今も続いています。野生生物や植物の回復には20年、マングローブ林が枯れてしまった場合には復元まで30年かかるともいわれており、重油流出による海洋生態系およびモーリシャスの人々の生活への影響は長期化すると予測されています。商船三井は、基金を設立するなどして総額10億円程度の追加支援策を発表し、引き続きモーリシャスの環境・社会回復に努めていくとしています。同じく、日本政府(環境省)も継続的な支援を表明していますが、早期の回復を祈るばかりです。

三井商船は、現地の環境NGOと連携してサンゴ礁に蓄積している堆積物の除去や、油が漂着したマングローブ林の根や土壌表面の洗浄を続けていますが、環境モニタリングに加えて、事故に至った背景や今後のリスク管理にも注目が集まっています。重油は、燃料として燃焼すれば気候危機の原因になりますが、運搬時にも環境に悪影響を与えるリスクがあります。世界が化石燃料に依存しない再生可能エネルギー100%を実現できたら、このような重油流出事故は防げるようになるはずです。この事件への対応とともに、私たちの社会がどのようなエネルギーをどのように使うべきか、考えるきっかけにしたいですね。

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